ありがとうございます。
お願いします。

新興宗教ランキング

1.分析

今回の投稿では、
推しが尊すぎて辛い、という現象
(好感をもつ人物への強い悶え)
を宗教に打ち込むことで緩和させる、
ということを書きます。
宜しくお願いします。

私は、辛い時のことを思い出したり、
生活で今は時折現れる苦しいことがあると、
すぐに無茶苦茶な言動をしてしまったり、
ネガティブな考え方にハマってしまったりします。
そんな時に、自分から探し求めた訳ではなかったのですが、
推し、という様に、SNSで好ましい方をフォローして、
ご活動を拝見したり、直接には関わらない様にして よい感想を書くと、
心が落ち着く時が増えました。
それで、私には、お導きとして、
推しを生活に受け入れる、ということが大事だと感じています。
しかし、その中で、自分自身を省みますと、恥ずかしい思いをすることがあります。
迷惑をかけない、ということが大事である我々にとって、
そういったことや実際には、推しと距離があるべきである、という現実が、
辛くなったりすることもあります。
離れて拝見しているのであったとしても、

(苦の原因):要は他の人間に近づきすぎ、

ということだと思います。




2.結局、何が必要なのか?

先の苦しみが起こったのは、
人間を頼むのではなく、
創造主に より頼め、ということが大事だからと考えられます。



3.具体的な対策は?

主に より頼むべき、
という大事なことから離れているから、
私は苦しくなったりするのかもしれませんね。
そして、私の場合、社会的立場もありませんから、
この、推しが尊すぎて辛い、という強いエネルギーを、
一般の世俗の仕事に昇華することが難しいです。
そんな時、

・宗教やその行、または遊びの様な自身の宗教的仕事(自著)に打ち込むこと

は、心の癒しにもなり、
先のエネルギーを昇華しようとしている、と言えるのかなぁと思いますよ。
宗教といっても、私は組織に所属したり、過度に多額の献金をする訳ではありません。
(ザカート等で私なりの喜捨は、戒律として行おうとしています。)
個人で、宗教書の典礼言語原文(外国語)を読誦したり、(六字名号なども)
毎日心を整え、たまに線香をあげたり、一人で礼拝することを取り組んでいます。
また、安息日を確保しキャンドルを灯したり、
以前紹介した宗教の色でファッションを着飾ったり、
戒律の見様見真似で頭にヘアバンドを、腕枕をしないで済む様に腕を縛ったりしています。( ユダヤ 教のテフィリン、聖句箱など)
こういう行に打ち込んだり、
よいことある毎に宗教書で学んだ文章で創造主を讃えると、
不思議と幸せな気持ちになり、
主や天国が近づいてくる気がしますよ!
その慰めは私にはとても大きいです。


4.宗教書からの背景

そして、
ユダヤ教では、
偶像崇拝を禁じています。
ユダヤ教の戒律(613のミツワー)の一つに、

30戒:他者を偶像視してはならない (レビ記19:4から派生、とされる)

というものがあります。
まさしく、先の苦しみは、この戒律を破ったため、とも言えそうですね?

また、
キリスト教では、

みだらな思いで他人の配偶者を見てはならない (マタイによる福音書5章27節~30節)

という教えもあります。

こんな風に、当たり前に感じる道徳や規範、というのが、
伝統にしたがい、また私たちにも興味深い外国語で、明文化されています。
伝統的にも信頼できる規範だということです。
そのことも結構大事なことで、
日常でそうだなぁ、大事なことだなぁ、と感じていること、
自分の正義を明文化する、というのが私には面白いですし、
その言葉が伝統宗教書にも書かれていると、
正道を歩いている、という心強い気持ちになります。
そんな時にも、聖なる存在が守ってくださる、
と温かい気持ちになることができますよ。
そして、推しとは適度に離れるべきであっても、
まったく一人の生活をしていても、

・不思議と孤独や寂しさを感じることはほとんどないです。

伝統宗教書に打ち込むなら、
老年であってもそうできるのではないかな、と期待しています。


5.まとめ

推しが尊すぎて辛い、の対策

・創造主により頼む (人間を頼みとしない)
・宗教やその個人での行に打ち込む (昇華)
・伝統宗教書から明文化された正義を学ぶ 
           (ex. 613のミツワー)



永い時
貴女と生きる
創造主

読んでくださり
ありがとう


信仰生活と推しゴト、
幸せ。