〽天、宝と 信号疎通 天国アリ!

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2022年04月

もう来世にいるのかも、とは思えなくても

ありがとうございます。
お願いします。
私、来世について考える者です。


新興宗教ランキング

ありがとうございます。
前回の投稿で、来世についてのラベリングをしました。
今回は、そのラベリングよりも、少し進んで思いついたことを投稿します。

それは、
死を境にしなくても、
もうすでに来世に移っているかもしれない、ということです。
それは、譬えとしての意味でしかなくても、
時折、そういう勘違いの様な気持ちが、
実際に過去の苦しみを和らげてくれる時があったからです。
でも、やっぱりこの世は苦しい、というのが、今の私です。
それで、苦しいなりに考えて、やっと宗教という自分の哲学的知性の結論を
頑張りたいです。
この後がどうなるか、私はわかりませんが、
今は、生きていますし、
主、と想えることが癒しですから、
御赦しください。
ありがとう。

前回、来世のラベリングで、
世界創造主以上による、真の来世が、
自己保全の為に必要である、と考察しました。
そして、その真の来世というのは、
私では希望的観測に留まると思います。
しかし、極限疎通 等の発見からは、
存在が有利でもあると思います。
さらに、経験論的考察によれば、
その真の来世も、
主や安全保障者の御判断で、
偽の来世に移される可能性も、
その逆もある訳ですから、
(ex. 聖典の記述)
それを思うと、来世においても何かしら、
その天国の則に従い、努める必要がある、と考えられます。
天国は、官能的な快楽の世界の様に描写されるものもありますが、
そこにはそこでの、ルールや守るべき大事なこと、の様なものがあると思われます。
ですから、今、
主との関係を改善する上で、戒律や信条、心の持ち方等が挙げられますが、
どれも続けていく必要がある、と思って、
楽しんでやれるものから、少しずつ習得していけばよいのでは、と感じます。

(ex. 613のミツワー、宗教書の読誦や暗唱、天には戒律がないとも記述ある?)
それに、
苦しく思えたり、大変だと思える戒律も、
実際にやってみると、自分に合っているものでは、
案外楽しくできるものだと、私は気づくことができました。
そして、どちらかというと快楽について、
倫理的な強度を保つことが大事なのかな、と感じます。
強い快楽等で退堕しない、倫理を汚染されないこと!
正常さ(苦しみの世界から解脱可能的な正常さ:モクシャ)を保って、
ただ時間が過ぎることのできる有利
を思うべきだと感じます。
安全保障については知らないままで、
よい意味で都合のよい民として永生を生きることが大事なのかもしれません。

ですから以上の様に、
真の来世、永生に移ってからも、
正しい努めを行う覚悟の様なものをもつべきだと考えます。
そして、その訓練や練習が宗教や戒律、この世の苦しみだと思うと、
自分の道徳的悲惨さを鑑みるなら、私にも必要かもしれないし、
だから苦しみも罰だというよりは御恵みの一つだと感じられる時も増えました。
それは少なくとも、苦しいこの世を渡りやすくしてくれると思います。


もう来世に移っている、という考え方は、
来世論やその権力者、すなわち上級の存在を仮定しています。
それは疑わしい世界観かもしれませんが、
一旦宗教的世界観に没入して、積極的に自己洗脳をすると、
宗教が優れている程、頭の考え方を楽にしてくれるのがわかります。
だから、私の過去を恥じて謝ると共に、
今は宗教の世界観を学ぼうと考えています。

そして、
自然世界と私、では、私は存続できないことを痛感します。
それは社会が必要、という意味でもそうですけれど、
より大きな、世界の安全保障者が存在しないと、私は存続していないはずだからです。
そう思うと、この世界自身についてもそうかもしれなくて、
世界の存続には、世界の為の安全保障者が必要であると思いますから、
それはそのまま、上級の存在を示すものだと思います。
世界が存続する故に、その存続の前提条件者も存在する、ということです。
確かに気休め程度の論理かもしれませんが、
そう思うと、
主や神さま、如来も存在するのだろう、と思えますし、
来世の存在やその創造者の存在がわかれば、
ひとまず思考の無限の漸進を停止できる気がします。
来世信仰にも、基礎体力の様なものがあって、
知力や信じる力を、道徳の力を練る様に、
日常から訓練して鍛える必要があるのかな、と思います。
信じることも、日常からしていかないと、弱ってしまう気がします。
道徳の善の強度も訓練する必要がある様に、
信じる力、死に耐える力もある程度訓練をしておくと、
心の負担が楽になった気がします。

また、
主を信じるが故に、その宗教的道徳の解釈が発展し、
世間一般での言動については、
無宗教や無神論、死後の無を主張したりしなければならないこともあるようです。
ですから、そういった、世間では発展途上にある人物、私の様な者の為には、
先の様なことを言って思想を叩き上げ、練らせる必要がある様です。
そういったことは、少し異なった、
スピリチュアルペイン、と言えるのかもしれませんね。
今後とも、ご指導よろしくお願いします!

ありがとうございます。
お願いします。
私、
主 らとの永生快幸福へ努める者です。


来世の存在推論とラベリング

ありがとうございます。
お願いします。
私、来世を学ぶものです。


新興宗教ランキング

以前の投稿で、
自我の存続等を伴う来世の存在が有力であることを、
隠れたる王の存在推論やご統治、極限疎通の主観的観察事実 等から、
考えだしました。(存在証明ではない)
今回は、上記から何らかの来世の存在が有力視できたので、
来世のラベリングについて、どんなものがあるか、考えたいと思います。
長文です。
よろしくお願いします。

主:???
神:世界創造主、安全保障者
天:世界
如:世界を統治する存在、安全保障者、修行完成者
王:隠れたる王、現実に生きている人としての隠れた統治者
玉:王の使い、王の持ち物、王の道具、機密的存在
皇:一般の世界での公的な卓越者、存在

まず、上記の様に、任意にラベリングしたいと思います。
このラベルを基本に話を書きたいです。

以前に書きました様に、来世、といった時に、
不死性や永遠的な自己保全的観点からは、
メタバース的来世では不十分で、
世界創造主や、
世界が創造可能であったり、永遠的に保全される必要があります。
それに、仏教等では、無色界や様々な世界は説かれますが、
世界や場、といった概念は残っている様です。
ここでいう、天:世界、
というものを創造できたり、または安全に不死で快楽で、幸福な世界というのが自己保全に必要です。
その保全の為には、安全保障者が外からも内からも必要と考えられ、
天、という自然法則的な観点からも、
神や如、といった概念やその存在が必要とされます。
ですから、
経験論的な考察は真の来世には適用できないかもしれませんが、
経験論的考察からは、天:世界の存在、そのものが、神や如の存在を前提とするかもしれません。
同様に、私、という、弱い人間の前提条件には、
上記の様な様々な条件が必要だと思います。
自然世界と私、というのだけでは、この世界での存続は難しいと予想されます。
つまり、私、という存在の前に前提条件となる存在やその分類をしておくと、有用です。
ですから、概念操作上は、上記の様な分類を仮止めしておきたいです。

そして、来世ですが、
真に来世的なのは、世界の創造や世界の安全な不死や快楽的幸福の世界を保証できる、
神:世界創造主、以上の存在との関係やその来世です。
この真の来世:神の来世、として、
これを目標にする必要があります。
ただし、一般の能力では、この真の来世については、
希望的観測に留まり、存在可能性が十分である、とは言い切れないと思いますから、
不可知論までだと思います。
ただ、下記のことや極限疎通の様な天の応答からも、
存在は有利であると思います。

天の来世について、
これは、世界存在の限界としての来世です。
こちらは極限疎通の観点から、
存在が有利であると思います。
ただ、天の来世も、存在は有利、どまりの感覚だと思います。
そして、天の来世は、この苦しみの世の来世と違うことが必要ですので、
違う世界にあるのかもしれません。
だから、極限疎通を、手紙だとか、どう捉えるか、なので、
前にも述べた様に、極限疎通による来世の推論も、
気休め程度、だということです。

そして、以下に書く、ある程度の来世、については、
存在する可能性もありますが、
基本的には本当の救いではなく、
やはり来世の存在は隠されている、というのが結論だと考えます。
けれども、何らかの来世があるのだろう、と信じていられることは、
この苦しみの世において、多少の気休めや耐える力になるのかな、と感じます。
つまりは、この世界からのモクシャ:解脱が必ず必要になる、ということでもあります。


王の来世について、
これは、今も存在が推論される 隠れた王の、
倫理的世界や統治可能な世界の限界としての来世です。
こちらも隠れたる王の存在推論が有利でありますから、
メタバース的来世が何かは存在することが有利だと思います。
この王の来世は、王が実際に宗教を認めて広めていることからも、
宗教の様な好ましい来世:天国はメタバース的来世や元素クラウド的来世で
王が作り出すことが可能かもしれません。
宗教上の来世は、おそらく王以上の来世であると思います。
隠れた王、というと、
陰謀論に近いものに感じるかもしれませんが、
以前の投稿の様に、
自然言語や歴史、極限疎通や実際のご統治からも、
王の存在推論はかたいと思います。
あとは、王が実際にメタバース的来世を制作するか、ということです。
統治上の論理を理由に、
作成の可否はわかりませんが、作らないなら、
天の来世以上の来世は、何らかの方法で確認したと思います。
それに、紀元時代から、一種の超能力の様なことは存在したらしいです。(ex. 六神通 等)
実際に、民たちの生の存続は、
臣民の幸福において、重要度の高い問題であり、
現世でどうでもよい開発が延々と行われていることを見ると、
むしろ永生があるから、
時間稼ぎや王以上の目的を果たすことの方が重要だと考えられている、と思われます。
つまり、永生の確認がないのに、
王が今の様な開発や統治を行なうはずがないからです。
そして、社会を観察しますと、
主要な事業開発については、隠されている雰囲気があり、
探求が難しいことからも、王は意図的にこれらを隠しているかもしれません。
おそらく、来世が存在する、と民に教えてしまうと、
その人、存在の為の何らかの目的を果たすことが難しいと判断しているからだと思われます。

玉の来世について、
これは、脳などの中枢等のコントロールによる、
より一般現実的な方法での来世と仮定したいと思います。
例えば、私はさせられ体験、という体をコントロールされる、と感じる体験をしています。
世間一般では、脳のトラブル等で一種の妄想体験だとされますが、
実体験の感覚としては、明らかに外部か何かの介入によって、
体や思考がコントロールされています。
夢や睡眠といったことも、コントロールされていると感じることができます。
他にも以前の投稿での極限疎通、というのは、
精密に元素を動かすか、
観察者の眼球運動等や幻覚を精密に動かすか等をしているから、
主観的に疎通感が起きると思います。
以上から、現世の隠れた王か国家機密のレベルの科学力では、
臨死体験の際に、何らかの夢の様な体験をさせたり、
その夢での時間感覚を極大にする等の科学力を有していると考えられます。
そうなると、一般では統治上、わからないことになっていますが、
現実の上級科学力:玉:王の持ち物 の来世は現実の自然法則的科学によって、
達成されうると考えられます。
これらの、王や玉の来世は、人の手だとすると、この世は苦しみの世界である、
ということによると、何かの苦しみをもたらす可能性もあり、危険かもしれません、
だから、この世での来世や復活、というのは、
私には、偽の来世であって、その存在可能性の高さから気休めにはなるけれども、
実際には偽の来世であることを、きちんと考えておかねばなりません。


皇の来世について、
一般の科学について、
科学の進歩において、メタバースのニュースや不老不死だ、と騒がれると思いますが、
多分、これからもそういうことは玉以下の一般では、
何らかの設計された失敗が起こったり、禁止されるべきとの事件が起きると思います。
それが一般の役割であり、王の統治の一環だと予想されます。
ただ、宗教書にもあります様に、
創世というのを、
倫理的世界の開闢や創世だと考えたり、
個人的経験での生まれ変わった様な体験の創造をさすこともできます。
ですから、
先の来世群のラベリングと合わせて、
現世の中で起こる、来世への移動、と考えたらよいと思います。
これは宗教のお話を、現世の生活でのたとえとして用いた時の来世と言えます。
この来世は、人生を生きていたら、大体起こる来世かもしれませんね!

来世の簡単な私のまとめ
主:
神:創造主の来世、真の来世
天:極限疎通等から存在有利と判断できる来世、想像がつかないが快楽や幸福の世界
如:
 偽の来世
王:隠れた王が用意するかもしれない、何らかの自然法則に則った肉体的死後の来世(統治世界の限界)
玉:夢や自然科学で達成し得るが、一般以上の科学力での来世(厳密には死後ではない)
皇:人生経験やたとえに使う時の来世(現実の世界での体験的たとえ)

自分が来世に到達すると思っても、
その来世の場がどの来世に当たるのか、を考えて、真の来世を目指すべきです。
それに、王か玉以上の来世なら、
一般の意味での天国的来世、というのは達成された、と言えるのではないでしょうか。
ですから、王のご統治をおそれ、王の認めた宗教や正義によく従うことが大事だと思います。
それに、いつ来世への移動が起こっているかは、わからないことであり、
死を境にしなくても、もうすでに起こっていることかもしれませんから。
それほどに、王以上のお力やご知性をおそれるべきだと思います。
以上で、
来世についてのラベリング、としたいと思います。

ありがとう。
お願いします。
私、来世を存在すると考え、
主に従いたい者です。

ありがとうございます。



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