〽天、玉と 信号疎通 天国アリ! 藤𠩤 研介

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ありがとうございます。 1
極大の天、微細の元素等と、符号信号の要領で極限疎通ができます。 2
極限疎通等での超科学力の考察から、一般肉体死後の生が推論され、
王認可の伝統宗教の天国を信じ、主の御導きを得ることが必要です。 3
そこで、近い王のもと、好ましい、生や肉体的臨終を迎える為にも、
宗教書『ぁけふじピョウ』を執筆し、修行することをまとめました。 4
そして、救い主へ努めた私の、今の第壱動因は、
「主 らと私も快幸福永生にあるコト」ですから、
ご指導の程を、何卒 宜しくお願い申し上げます! 5
藤𠩤 研介

1.宗教、言語分析
隠れたる伝統的王の現存推論
2.元素で極限疎通
一般以上の科学的精密現象支配の存在

1+2⇒少なくも科学世界観で
一般肉体死後の生の 存在可能性

⇒宗教めいた
主≧神天如、来世権力との関係構築 要
一、伝統宗教書 原文や学問
二、遵法余暇 宗教哲学生活
三、美処女、大自環境 疎通
主 らと私も快幸福永生にあるコト

神の存在証明 伝統宗教での神が権力ある存在である推論

ありがとうございます。
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今日は、
伝統宗教での神さまが、
お話の中だけの神さまだけでなくて、
実際に天国へ導く権力を持つ神さまであろうことの
私の思いつきの推論を御紹介したいと思います。

気休めの論理の一つとして、楽しい!と思ってもらえたら嬉しいです。
そう考えると、生きる力が湧いてきて、
善く生きられるから、という実践的な、
感情論的証明(推論)です。

1.序論
極限疎通の考察により、超越的科学力を持つ王的存在の推論はできたと思います。
しかし、その王的存在が神さまや精霊であるか、
また、神さまと伝統宗教で紹介される神さまは一致するのか、という疑念は残ります。
本当の神さまと伝統宗教での神さまが一致することが多いとしたら、
伝統宗教の実践にも身が入り、
より主 らと楽しく生きていくことができるのかなぁ、と期待します。

2.王と伝統宗教での神、本当の神さま
人生経験や様々な根拠は、
実際に存在する隠れたる王が、卓越して誠実な方、方々であることを経験できると思います。
少なくとも、今の私はそう感じます。
王は有能で、善良、誠実です。
伝統宗教も、深く考察してから実践を重ねますと、
その言葉や戒律は信用に足るもので、誠実であると言ってよいと思います。
そして、神さまはさらに誠実な方であるでしょう。
少なくとも誠実な方であるべきで、経験的にもそう期待できます。

だから、経験的には

王、伝統宗教での神=誠実 ≦ 本当の神さまの誠実

と考えられます。

3.伝統宗教での神は権力ある存在 誠実であること、の経験論
貴女は、誠実であろうとする時、
どうするでしょうか。
私は黙ること、黙ってやるべきことをやって、約束などはしないことかなぁ、と感じます。
実際に生きる隠れたる王も、どちらかというとそんな感じではないでしょうか。
やるべきことは全くもって高いレベルでなさるけれど、約束をすることは稀です。
それは、自身の権力を勘案すると、
すべきことを完遂すべき時に、約束をしない方が事を成せることが多いからでもあると思います。
では、伝統宗教の神はどうでしょうか。
結構、天国の約束事やこうやったらいい、をたくさん伝えておられるんです。
先の様に、王や自分の経験だったら、むしろ黙っている様なことも。
それって不思議ですよね。
経験的には、伝統宗教での神やその戒律実践効果も誠実ですのに、
わざわざ約束事をするのですから。
それは、伝統宗教での神も、誠実なことに自信があるからかなぁ、と思います。
隠れた王ですら難しい約束ですから、
それは、ある意味では伝統宗教での神も、それ以上の権力をもつからかもしれません。
実際、伝統宗教は、数千年も歴史に残ってきており、
今後も何らかの伝統宗教は続いていくでしょう。
時の淘汰の強大さを思いますと、
何世代もの、長い時を残ってきていることは、とても驚くべきことであり、王の権力も示します。
箱庭の様に作られて、私が生きていることも感じますから、なおさらのことです。
そして、天国成就の約束の明言や自信、というのは、
権力哲学的には、世界創造などの強大な権力(全能など)に由来します。
少なくとも、誠実な方なら、そう由来すべきです。

だから、誠実や約束成就(天国など)において

王の自信 < 伝統宗教での神の自信 ≦ 本当の神さまの権力

と言える一面があるかもしれません。
つまり、王の権力や誠実さ、伝統宗教での神の誠実さを思うと、
伝統宗教での神の権力も相当なものかなぁ、と感じます。
それこそ本当の神さまにも
より近いかもしれません。

あんなにすごい王をもしのぐかもしれない伝統宗教での神を、
本当の神さまと大体一致している、
と仮留めして考えても、
あまり実践的な差はないかなぁ、と、
つまりは伝統宗教での神を神さまと思って努めてみるのもよいかなぁ、と感じます。
それは、王や伝統宗教が現存、存立し続けるなら、
本当の神さまも存在する、と言ってしまってよいかも、と思えますよ。

4.まとめ
極限疎通や人生経験から、
隠れたる誠実な王を導け、
自分の誠実さの考察から、
より大きな、伝統宗教での神の誠実さと権力を想像できます。
長い歴史にも残る程の伝統宗教での神の権力は、人間最高の王の持つ権力を上回るかもしれないので、
実践的には伝統宗教で紹介されている神を、神さま、と仮留めし、
伝統宗教に努めるのがよいでしょう。
その内、信仰者の愛や正義の心には、神が存在するでしょう。

5.
自分の小さな美徳や誠実さの考察から、
神の存在推論ができました。
如何でしょうか!


ありがとう。
すごいね!

〽永い時
 
愛を約束

できた神



ぁけふじピョウ 第11版

ありがとうございます。
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今期のぁけふじピョウを発行しました。
下記ページのリンクを載せます。
こちらのブログの内容や、
神さまのこと、死のこと、伝統宗教などに悩んでいたら、
読んでみるとよいかもしれません。

問題なき様に、
お願いします。


ぁけふじピョウ 文書保存ページ
FUJIWARAKensuke

ありがとう、王。

おひとりさま終活 天涯孤独 試案

ありがとうございます。
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暦の上では、春になりましたね!
大事な新年度の準備もありますから、体調にも気を付けたいです。
私も、今月には、今期の『ぁけふじピョウ』を仕上げる予定です。
今日は、おひとりさま終活についての考え事を少し投稿したいです。
宜しくお願いします。


おひとりさま終活(または天涯孤独になったら)

   要点
老年生活プログラミング

家に帰る()体を休めてから考える()実物品に頼る()

 1.清潔な飲食品の簡便な確保

2.業者との通信手段の確保

3.支払い方法は都度の支払い

4.仕事人を思慮し、自宅中心のみで過ごす。

5.本当の緊急は、役所や病院に相談。


1.清潔な飲食品の簡便な確保
老いた時にも大事なことは、衣食住や移動の確保だと思います。
移動、死期や病期の問題により、簡便に清潔な飲食品を確保することが重要です。
例えば、よい浄水器と楽飲の素(お茶の素やスープの素)ですぐに飲めること、
宅配や弁当を利用する等が必要になるかもしれません。
また、特に移動について、甘く考えがちで注意が必要です。
近い距離も遠い距離も、移動の確保が大事です。

2.業者との通信手段の確保
自身だけで、日常に現れることを全てできない現代人は、
業者に依頼しなければなりませんから、
これは老年期になり、生活スタイルが変わったとしても、必要になることです。
わざわざこれを言うのは、
現代であると、通信手段には継続的な出費が掛かるからです。
だから、この必要を、次の項目3.の様に、適切な方法で確保しなければなりません。
これは、普段より一歩進んで探さないと見つからなかったりします。
電話やインターネットが使えない、となっても、移動が難しいと探すのも大変です。
ネットカフェやネットブースを見つけておくか、
タウンページ、役所や図書館などの公的施設で自分で連絡できる連絡先を確保する必要があります。
移動と同じ様に、通信の必須について出費を惜しんだり怠りやすいので、注意が必要です。
おひとりさま、天涯孤独だからといっても、通信は必要です。

3.
支払い方法を口座への振込みや都度の支払いに徹底する
(自動の継続支払いを止める)
月払いの自動引き落とし、というのが現代では主流で、
死ぬ時も、最後は引き落とされ続けて、マイナスになったら止まるだろうと考えがちです。
それでもよいかもしれませんが、できれば、自分の管理で締めたいですし、
そちらの方が王の意にも適うものと思いたいです。
ですから、老年期や天涯孤独になったら、自動の継続支払い(口座引き落とし等)を止めて、
口座振り込みやコンビニ・ATM決済、買い物都度の支払いを徹底することです。
もしできないなら、クレームや相談をしてみましょう。
また、利用時に自動の継続支払いを選ばないなら、
デビットカード(口座残高以内でキャッシュレス可能)などで
キャッシュレスの便利さを使うのも悪くないと思います。
その時に、日常の支払いの口座(最期まで使用する口座)と、
緊急や臨時の貯金としての口座も用意しておくとよいと思います。(複数の口座を持っておく)
あと、ゆうちょ銀行なら、定額貯金(担保定額貯金や定期貯金ではない)をしておいて、
「満期振替預入の取扱い」をお願いすれば、
満期後に普通口座に補充されるのでは、と推測します。(要確認です。)
デビットカードが死後などに不正利用される可能性もありますが、
現行の現代法が続く限りは、大きな問題にはならないと思います。
また、死後事務委任契約や、身元保証といったこともありますが、
現時点(2023年、令和五年の日本)では高額なため、一般の方はその方法をとらなくてもよい、
という意味だと思います。
だから、それ以外の方法となると、なるべく自分で事務手続きや決済を管理し、
死後、自己管理ができない状態を減らす努力をすべきだと思います。
しかし、結局は放置されることになると思いますから、
基本的には自分で止められ、管理できる、口座振り込みか都度の支払いにすべきです。
少なくとも、自動の継続支払いは止めた方がよいと思います。
それは老年などで手続きが大変になる前に、
業者等を乗り換えておく必要があります。

私の場合、
・日常の公共料金等の支払いは口座振替で行われ、(残高不足まで引き落とされ続ける)
・キャッシュレスの支払いはデビットカードで行います。(クレジットではないので、口座残高次第)
・口座振込みは、基本的に家賃のみです。(インターネット上で振込みでき、外出を控えられる)
全部口座振込みにしたかったですが、
老年期の記憶等の難しさを思うと、支払いの容易さから、
公共料金等の支払いは口座振替で行い、
残高不足で滞納→契約解除、という流れが
あまり考えなくてよい正義の形なのかな、と思う様になりました。
だから、支払いは「家賃をネットで口座振込み」をしっかり覚えておいて、
振り込みできなくなったら貸主が来てくれるだろうと思います。
ありがとう!貸主さん!王よ!

繰り返してしまいますが、
行動不能状態等になって、滞納や契約解除になってから、
復活して、リカバーができる様にするには、
恐らく、口座を複数持ち、日常に使うものと、
緊急等で、滞納や契約解除でのお金を補填する口座が必要になると思います。
デビットカードも口座別に持つと思います。


4.仕事人()のことを思慮し、例えば宅配しやすく、家を借り、
自宅中心のみで過ごす。

仕事をしてくださる方のことを考慮する必要があります。
死んだりする訳ですから、家を借りるなら、家や貸主のこと、
宅配や多くの仕事を頼む様になりますから、仕事人のこと、
そういうことが仕事人の立場からもやりやすい様に家を借りたり、
宅配の量などを考える必要があります。
そういうことができれば、ほとんど自宅周辺のみの生活でこと足りる様になると思います。
老年になってから、知恵や体力をつけようとしても、あまり効果はでません。
若い時や壮年期の終盤の余力が効いてくると思います。
ですから、それまでに自宅周辺だけでも暮らせる様にするとよいと思います。
(家具なども、自力で動かせ、持ち運べる様な、軽いものが望ましいです。)
それは、老年期までに、行きたい所には行っておいたりする必要があることを示します。
プラトン哲学(『国家』、『法律』など)では、
50歳前後に、戦争にも卓越した者が、海外視察などをすべきだ、と説かれます。
ユダヤ教でも、祭司は50歳まで、とされていて、(数字遊びもあるから一概には言えないですが)
ユダヤ教の祭司は世俗や富にも長けた隠れたる大王的な存在である様ですから、
大きな肉体的行動のフィナーレは、その年の頃の様です。
そして、死期や病期で長期間引きこもれる様に
飲食品や医療グッズ、必需品等のローリングストックを準備する部屋を設けたいです。
かなりの量になると思います。
老年に一人で快適に暮らすには、工夫が必要ですから、自己に合わせて哲学し、対策を講じたいです。

信仰で死の覚悟を持てる様になるべきで、
そうなると病院の利用は鎮痛の為 位のものになるはずです。
病院等はアクセスしやすい所を利用すると移動もしやすいです。

5.本当の緊急は、役所(や病院)に相談。
(事前相談はできず、解決法はその時知らされる。)
役所や病院には、普通、事前相談というのはありません。
そして、老年期、相談する所が民間のみとなると、
出費も掛かるでしょうし、あまり成果は得られない可能性が高いです。
そして、役所や病院に行かなければならない程、深刻な状態になりますと、
事前相談ができない時などのショックは大きいでしょうから、備えが必要です。
それは本を書いたり、宗教書を読んだり、勉強したことをまとめたり、様々あると思いますが、
動かない一般的帰結をよく勉強しておくことだと思います。
世俗のニュースには、嘘や方便も多いですから、
役所や病院に、過度にネガティブな印象を持たず、先のショックに備えたいです。
そして、深刻になった時、ようやく話を聞いてくれると思います。
その時にやっとはじめて解決法も示してくれると思います。
そして、それは、しんどい状態であるにも関わらず、
自分から言わなければなりませんから、相談する勇気も必要です。
また、尊厳死や平穏死の選択に法的拘束力を持たせることは難しい時があるらしく、
積極的な延命治療を望まないなら、
尊厳死や平穏死を強く主張する必要があります。


王が、こういうことや世俗の困難や解決を教えないのには理由がありますから、
民は民の分を守って、上記のことも思いつくのが難しいなら、素直に伝統宗教に努めるべきです。

王は、世俗のこれらの困難だけでなく、もっと深刻な問題にも努めた結果、
今の、民には不可解なご統治を支配しておられます。

人不知而不慍、不亦君子乎、
人知らずして、慍みず、亦た君子ならずや。 『論語』


王の領域にはとても大きな危険もありますから、世俗のご統治の解釈も難しいです。
これらを、
何のことかわからない、恐い(凡工)、と感じる方なら、
素直に伝統宗教に努めるべきです。

(伝統宗教:王認可の自作宗教、儒教、ヒンドゥー教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、
神道、仏教、世界各地にあるキリスト教、伝統的な神話等。世俗の新興宗教とは異なる。)

これらのことは悪用したり、悪いことを考えてはいけません!
そういうことを防ぐ為にも、伝統宗教やその宗教書をよく学ぶ必要があります。
その中で、公然の秘密も、徐々に明らかになり、天国へ趣くこともできると思いますよ!

私はもうすぐ35歳ですが、
終活に努めたいと思います。
ありがとうございます。



社会(物価高)と宗教での私の楽しみ方

ありがとうございます。
お願いします。

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 今回は、社会の変化を宗教で考える一例を挙げ、
私の宗教の楽しみ方の一つを紹介したいと思います。
長文です。
宜しくお願いします。


1.伝統的な科学としての宗教や歴史
主や王はその御統治によって、
社会を運営しておられると、
私は考えます。
それなのに、物価高や何だと、
民の側からすると、困ったことが絶え間なく続きます。
私は、この世が苦界であり、肉体的死後には天国に向かうのですから、
その快幸福永生か何かの為に必要であるからか、
この世で苦しみを受けることはそんなにおかしくないことだと思っています。

でも、やっぱり物価高はくるしいですよね、笑い。
そんな時、宗教文を思い出したり、それに当てはめて考えると、
スッキリすることがあります。

例えば、

 生財有大道、生之者衆、食之者寡、
為之者疾、用之者舒、即財恒足矣、
仁者以財発身、不仁者以身発財、


 財を生じるに大道あり。
これを生ずる者衆く、これを食らう者寡なく、
これを為る者疾く、これを用いる者舒かなれば、即ち財は恒に足りよ。
仁者は財を以て身を発し、不仁者は身を以て財を発す。
儒教聖典『大学』

という御言葉。
当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、
よく経済原理をお示しだと思います。
先の様なことを中国の歴史の様に、
ずっ~とやってきているんですね、笑い。
それでも、人間の存在はずっと続いているらしいです。
大きな世界のことを考えて、
それも同じようにやってきているんだ、
と思うと、だから大丈夫なんじゃないか、とか、
そういってくださる方のこと:宗教を勉強してもいいんじゃないか、
と思える時がありますよ!


2.物語としての王の社会
また、

 sacen me bhagavan bodhiprāptasya tatra buddhaketre

yaḥ sarvaparīttakuśalamūlo bodhisattvaḥ sa ṣoḍaśayojanaśatocchritam
udāravarṇabodhivṛkṣaṃ na saṃjānīyān

mā tāvad aham anuttarāṃ samyaksaṃbodhim abhisaṃbudhyeyam | 28 |

28願 世尊よ。もしも、わたくしが覚りを得た後に、
仏国土において善根を積むこと極めて少ない求道者であっても、

(喩えとして)少なくとも高さが千六百ヨージャナある

色に勝れた菩提樹を認めることがないようであったら、

その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を

現に覚ることがありませんように。 

 

 sacen me bhagavan bodhiprāptasya tatra buddhakṣetre kasyacit
sattvasyoddeśo vā svādhyāyo vā kartavyaḥ syān na te sarve
pratisaṃvitprāptā bhaveyur

mā tāvad aham anuttarāṃ samyaksaṃbodhim abhisaṃbudhyeyam | 29 |

29願 世尊よ。もしも、わたくしが覚りを得た後に、
仏国土にいる或る生ける方が、説法したり、勤行せねばならぬことが

あったとして、かれら一切が、

とどこおりの無い理解表現力を得ないようであったら、

その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を

現に覚ることがありませんように。 

仏教 弥陀の本願 出典『無量寿経』

とあります。
大きい菩提樹は、今回の場合では
物価高を当てはめてみると色々想像が膨らみ、楽しいです。(性愛でも考えます。)
そして物価高が終わったら、続きの29願の様に、
言語や政治家の話が出てくるのではないかな~、と予想しています。
王は弥陀の本願の事も考えておられるだろうからです。
本願は梵文のものでは47願あるのですが、社会の変化と比較すると、
物語や構造を持って話を進めている様に感じられる時があります。
まるで王と社会を眺めている気持ちになる時がある位です!
もし当たったら、貴女も楽しいかもしれませんよ、笑い。


3.考察の種
他にも、

The Tower of Babel

וַֽיְהִ֥י כָל־ הָאָ֖רֶץ שָׂפָ֣ה אֶחָ֑ת וּדְבָרִ֖ים אֲחָדִֽים׃ 
וַֽיְהִ֖י בְּנָסְעָ֣ם מִקֶּ֑דֶם וַֽיִּמְצְא֥וּ בִקְעָ֛ה בְּאֶ֥רֶץ שִׁנְעָ֖ר וַיֵּ֥שְׁבוּ שָֽׁם׃ 
וַיֹּאמְר֞וּ אִ֣ישׁ אֶל־ רֵעֵ֗הוּ הָ֚בָה נִלְבְּנָ֣ה לְבֵנִ֔ים וְנִשְׂרְפָ֖ה לִשְׂרֵפָ֑ה וַתְּהִ֨י לָהֶ֤ם הַלְּבֵנָה֙ לְאָ֔בֶן 
וְהַ֣חֵמָ֔ר הָיָ֥ה לָהֶ֖ם לַחֹֽמֶר׃ 
וַיֹּאמְר֞וּ הָ֣בָה ׀ נִבְנֶה־ לָּ֣נוּ עִ֗יר וּמִגְדָּל֙ וְרֹאשׁ֣וֹ בַשָּׁמַ֔יִם וְנַֽעֲשֶׂה־ לָּ֖נוּ שֵׁ֑ם פֶּן־ נָפ֖וּץ עַל־ פְּנֵ֥י כָל־ הָאָֽרֶץ׃ 
וַיֵּ֣רֶד יְהוָ֔ה לִרְאֹ֥ת אֶת־ הָעִ֖יר וְאֶת־ הַמִּגְדָּ֑ל אֲשֶׁ֥ר בָּנ֖וּ בְּנֵ֥י הָאָדָֽם׃ 
וַיֹּ֣אמֶר יְהוָ֗ה הֵ֣ן עַ֤ם אֶחָד֙ וְשָׂפָ֤ה אַחַת֙ לְכֻלָּ֔ם וְזֶ֖ה הַחִלָּ֣ם לַעֲשׂ֑וֹת וְעַתָּה֙ 
לֹֽא־ יִבָּצֵ֣ר מֵהֶ֔ם כֹּ֛ל אֲשֶׁ֥ר יָזְמ֖וּ לַֽעֲשֽׂוֹת׃ 
הָ֚בָה נֵֽרְדָ֔ה וְנָבְלָ֥ה שָׁ֖ם שְׂפָתָ֑ם אֲשֶׁר֙ לֹ֣א יִשְׁמְע֔וּ אִ֖ישׁ שְׂפַ֥ת רֵעֵֽהוּ׃ 
וַיָּ֨פֶץ יְהוָ֥ה אֹתָ֛ם מִשָּׁ֖ם עַל־ פְּנֵ֣י כָל־ הָאָ֑רֶץ וַֽיַּחְדְּל֖וּ לִבְנֹ֥ת הָעִֽיר׃ 
עַל־ כֵּ֞ן קָרָ֤א שְׁמָהּ֙ בָּבֶ֔ל כִּי־ שָׁ֛ם בָּלַ֥ל יְהוָ֖ה שְׂפַ֣ת כָּל־ הָאָ֑רֶץ וּמִשָּׁם֙ הֱפִיצָ֣ם יְהוָ֔ה 
עַל־ פְּנֵ֖י כָּל־ הָאָֽרֶץ׃ פ


全地は同じ発音、同じ言葉であった。
時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。
彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。
彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。
時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、
言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。
さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。
こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。
これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。
ユダヤ教『タナハ』創世記第11章1~9節

こちらもどうでしょうか。
バベルの塔は有名だと思いますが、
それを物価高と考えても面白いと感じますよ。
だから、主がバベル:物価高を乱されるかもしれません。
それに人間は傲慢な企みに始まり、結局は全地に散ることになりました。
これは、私たち民にも反省するところがあったり、
全地に散る:旅行やいつも使っているお店や言葉を変える、
というのが必要なことの示唆かもしれません。
実際、いつも同じお店で同じ商品を買い続けていると、
高くなったり、商品の仕入れが不順になったりしませんか?
そう考えると、この宗教文を考えて、いつもの店の伺い方を変えたり、
普段の同じ言葉:生活習慣を変えてみるのも、どうでしょうか!?
こういう楽しみも、私は嬉しいです。
何か肯定的な変化があるかもしれません!
つまり、御言葉と生活を結び付ける、という楽しみです。


4.感情的な解放と訓戒
さらに、

23 Καὶ σύ Καφαρναούμ 
μὴ ἕως οὐρανοῦ ὑψωθήσῃ 
ἕως ᾅδου καταβήσῃ ὅτι εἰ ἐν Σοδόμοις 
ἐγενήθησαν αἱ δυνάμεις αἱ γενόμεναι 
ἐν σοί ἔμεινεν ἂν μέχρι τῆς σήμερον 


23 
ああ、カペナウムよ、
おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。
黄泉にまで落されるであろう。
おまえの中でなされた力あるわざが、
もしソドムでなされたなら、
その町は今日までも残っていたであろう。
キリスト教『新約聖書』マタイによる福音書11章23節

町の名カペナウム:物価高と読みましょう、笑い。
ギリシャ語は綺麗な音をしていますから、
ギリシャ語が文字だけでも読めると、
感情の解放につながるのですね。
物価高~!!となります、笑い。

それに、聖書の中では、
ソドムは男色の都市として知られています。
自身の生活や気持ちにおいて、
性の不道徳がなかったか、反省を促されます。
そういう所を王は見ておられて、
物価高も起こっているかもしれませんからね!

私は、主が味方してくださっている気持ちになれましたよ!



5.秘密の言葉で考えてみる
他にも宗教書はありますし、譬えや物語は沢山あります。
そうして宗教で考えてみますと、
不思議と心が和らぐのです。
政治家の先生や社会情勢がどうとか、を責める気持ちではなく、
主が支配をしておられて、
苦しい、という学校の演目の様に思える時もあります。
そうは思えない程苦しい時もありますが、
それでも、こうした宗教で考えてみる、ということを
ワンクッション置きますと、
どこか生活の色々も、天国への絆や約束の様に感じられて、
受け入れやすくなります。
ここまで長文だと、読む方がおられるかわかりませんが、
それだけの思いを受け入れる文やお話の容量が、伝統宗教書にはあると思います。
だから、貴女にも伝統宗教書を手に取っていただきたいです。
そして、貴女の大事なことと、
神の栄光の為に充実して生きてほしいと思います。
それは苦しみの中であるかもしれませんが、
天国では意味のあることとわかると思いたいです。
少なくとも、今の私は、宗教に努めます。



ありがとう
社会も御手の
内にあり
我が袖振れば
御言葉出ずる



推しが尊すぎて辛い時の対策

ありがとうございます。
お願いします。

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1.分析

今回の投稿では、
推しが尊すぎて辛い、という現象
(好感をもつ人物への強い悶え)
を宗教に打ち込むことで緩和させる、
ということを書きます。
宜しくお願いします。

私は、辛い時のことを思い出したり、
生活で今は時折現れる苦しいことがあると、
すぐに無茶苦茶な言動をしてしまったり、
ネガティブな考え方にハマってしまったりします。
そんな時に、自分から探し求めた訳ではなかったのですが、
推し、という様に、SNSで好ましい方をフォローして、
ご活動を拝見したり、直接には関わらない様にして よい感想を書くと、
心が落ち着く時が増えました。
それで、私には、お導きとして、
推しを生活に受け入れる、ということが大事だと感じています。
しかし、その中で、自分自身を省みますと、恥ずかしい思いをすることがあります。
迷惑をかけない、ということが大事である我々にとって、
そういったことや実際には、推しと距離があるべきである、という現実が、
辛くなったりすることもあります。
離れて拝見しているのであったとしても、

(苦の原因):要は他の人間に近づきすぎ、

ということだと思います。




2.結局、何が必要なのか?

先の苦しみが起こったのは、
人間を頼むのではなく、
創造主に より頼め、ということが大事だからと考えられます。



3.具体的な対策は?

主に より頼むべき、
という大事なことから離れているから、
私は苦しくなったりするのかもしれませんね。
そして、私の場合、社会的立場もありませんから、
この、推しが尊すぎて辛い、という強いエネルギーを、
一般の世俗の仕事に昇華することが難しいです。
そんな時、

・宗教やその行、または遊びの様な自身の宗教的仕事(自著)に打ち込むこと

は、心の癒しにもなり、
先のエネルギーを昇華しようとしている、と言えるのかなぁと思いますよ。
宗教といっても、私は組織に所属したり、過度に多額の献金をする訳ではありません。
(ザカート等の財産の2.5%程度以上での少額の喜捨は、戒律として行っています。)
個人で、宗教書の典礼言語原文(外国語)を読誦したり、(六字名号なども)
五体投地礼、という行や、毎日心を整えて線香をあげたり、礼拝することを取り組んでいます。
また、安息日を確保しキャンドルを灯したり、
以前紹介した宗教の色でファッションを着飾ったり、
戒律の見様見真似で頭にヘアバンドを、腕枕をしないで済む様に腕を縛ったりしています。
こういう行に打ち込んだり、
よいことある毎に宗教書で学んだ文章で創造主を讃えると、
不思議と幸せな気持ちになり、
主や天国が近づいてくる気がしますよ!
その慰めは私にはとても大きいです。


4.宗教書からの背景

そして、
ユダヤ教では、
偶像崇拝を禁じています。
ユダヤ教の戒律(613のミツワー)の一つに、

30戒:他者を偶像視してはならない (レビ記19:4から派生、とされる)

というものがあります。
まさしく、先の苦しみは、この戒律を破ったため、とも言えそうですね?

また、
キリスト教では、

みだらな思いで他人の配偶者を見てはならない (マタイによる福音書5章27節~30節)

という教えもあります。

こんな風に、当たり前に感じる道徳や規範、というのが、
伝統にしたがい、また私たちにも興味深い外国語で、明文化されています。
伝統的にも信頼できる規範だということです。
そのことも結構大事なことで、
日常でそうだなぁ、大事なことだなぁ、と感じていること、
自分の正義を明文化する、というのが私には面白いですし、
その言葉が伝統宗教書にも書かれていると、
正道を歩いている、という心強い気持ちになります。
そんな時にも、聖なる存在が守ってくださる、
と温かい気持ちになることができますよ。
そして、推しとは適度に離れるべきであっても、
まったく一人の生活をしていても、

・不思議と孤独や寂しさを感じることはほとんどないです。

伝統宗教書に打ち込むなら、
老年であってもそうできるのではないかな、と期待しています。


5.まとめ

推しが尊すぎて辛い、の対策

・創造主により頼む (人間を頼みとしない)
・宗教やその個人での行に打ち込む (昇華)
・伝統宗教書から明文化された正義を学ぶ 
           (ex. 613のミツワー)



永い時
貴女と生きる
創造主

読んでくださり
ありがとう


信仰生活と推しゴト、
幸せ。




 
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